巻頭特集

居心地のいい距離感

『居心地のいい距離感』という言葉で真っ先に連想したのは土管だ。
 日本が世界に誇るあのアニメでは、空き地に土管があり、主人公は辛かったり悩んだ時、中に入って泣いたり考えたりする。他にも、さまざまなアニメやドラマで、行き場をなくした子どもや、時には大人が、逃げ込んだり、一夜を過ごしたりする。フィクションなので実際にはあり得ないのかもしれないが、気持ちは分かる。なぜなら土管には絶妙な居心地のよさがあるように思うからだ。

 まずは、周囲から見つけられにくいこと。洞窟を彷彿とさせる隠れ家感があり、良く言うと、包まれるような安堵感もある。一方で、閉ざされていないことも重要だ。両サイドが開いているので、こちらからは周囲がよく見えて閉塞感がなく、社会と程よい距離感でつながっている安心感もある。
 頻度に差はあるものの、誰でも一人になりたい時はある。どんなに仲の良い家族や友人にすら、放っておいて欲しい時がある。そんな時、逃げ込める土管は公園や空き地ではなく、ぜひ、家の中にあって欲しいものだ。

臨床心理士に聞く
空間づくりのポイント

 パーソナルスペースという言葉を聞いたことがあるだろうか。自分以外の人に入り込まれると不快に感じるスペースのことで、対人距離とも呼ばれている。例えば、空席だらけの電車内で見ず知らずの人が隣に座ると不快に感じるのがそれだ。しかし、満席なら受け入れられるし、友人や家族が相手ならあえて隣に座る。つまり、パーソナルスペースは、シチュエーションや相手との親密度などによって異るもので、さらに個人差も大きいそうだ。
 家庭内にもパーソナルスペースは存在する。夫婦や親子であっても、気分や状況によっては距離をおきたい時もあるからだ。子どもに至っては、片時も母親から離れたくない幼児期もあれば、突然親を疎ましく思い、距離をおきたくなる思春期もある。
 このように、狭い我が家の中で、刻々と変化する距離感のニーズを叶えるためにはどのように空間を設えればよいのだろう。臨床心理士で建築設計事務所のスタッフでもある小笠原麻子さんに伺った。

麻布永坂町の物件(小笠原正豊建築設計事務所)。オープンキッチンからせり出したカウンターが、ダイニングテーブルへとつながり空間の主役となっている。右端にはヌック(隅を利用した落ち着けるコンパクトな居場所)、左奥には奥さまの仕事場であるプライベートスペースがレイアウトされている。
Photo:©Koichi Torimura

Q建築において心理士の力が生かされるのはどんな時?
 「建築設計事務所での私の主な仕事は、施主様のお話を整理し、フィードバックすることです。家や暮らしに対する意向は、断片で語られることが多く、レベルも具体的だったり抽象的だったりバラバラなので、隠れている潜在的な要望を汲み取りながら施主様が求めているものをクリアにしていく必要があり、それには、心理士としてのアンテナがとても役に立ちます。
 例えば、麻布(上写真)の物件では、料理上手の奥様が、キッチンカウンターをダイニングのセンターに据えたいとおっしゃったことから、彼女にとってキッチンは単なる作業場ではなく、家族や友人をもてなす舞台なのだと理解し、このようなオープンキッチンを提案しました」。

Q家族間の距離感についての意向を汲み取るには?
 「一概には言えませんが、ネガティブに目を向けることはひとつの方法だと思います。家を建てるとなると夢が広がりますから、意向もポジティブで語られることが多いのですが、その裏にはネガティブが隠れている場合も少なくありません。 例えば、先ほどの物件で奥様は、キッチンやダイニングとは一線を画す場所に集中できるプライベートなスペースが欲しいとおっしゃいました。ところが一方で『音は漏れ聞こえてもいい』とか『壁で仕切る必要はない』など、『完全に分離される必要はない』とも言われました。一人になりたいけれど切り離されないでいることは、彼女にとって大切なのだということが伝わってきたので話を進めると、『家族はいつも一緒にいるものだ。妻であり母である私が家族に背を向けるのはいかがなものか』という背徳感を持っていることが窺えました。さらに彼女は、子ども達がテレビに興じることについて、認めてはいるけれど生理的には不愉快で、目に入るとストレスを感じるようでした。そこで、これらのネガティブを取り除くべく、リビングの一部を大型家具で仕切ってテレビを楽しむエリアとし、彼女のプライベートスペースからは見えないようにしました。さらに、彼女のデスクをリビングに背を向ける形で設置してプライベート性を高め、視覚を遮ることでデスクワークの集中力を高められるよう配慮しました。 このように、距離感を調整することはストレスを減らすことにつながっているので、ネガティブに目を向けることで汲み取れる意向は多いと思います」。

奥さまのプライベートスペース。出窓があり奥まっておいる上、収納庫に囲まれていてほどよく独立したスペースとなっている。

大型家具の裏側に、テレビを楽しむエリアがあり、キッチンからは見えないようになっている。

Q『居心地のいい距離感』は気分や状況によっても変化すると思うのですが、それに対応するための方法は?
 「ヌックをひとつ作っておくと便利だと思います。部屋の隅に設けられたコンパクトな居場所のことで、程よい隔離感があります。よく『家の中で一番落ち着くのはトイレ』などという人がいますが、それに類する安心感があり、誰もが使えるパーソナルエリアです。 変化すると言えば、中学生の子を持つ母として痛感しているのは、子どもとの距離感は成長に伴って変わるということ。だから、子育て中のご家庭は、変化に対応できるよう、空間・間取りをあまり作り込まないことをおすすめします。 前ページのお宅では、リビングに相当する場所に何も置かれていません。パーティの時はそこにテーブルやソファを出したり、テントを張って室内キャンプを楽しんだり、子ども達が勉強机を持ち込んでリビング学習をしたり、フレキシブルな空間として活用されています。それもひとつの方法だと思います」。

部屋の隅を使った落ち着ける居場所『ヌック』。コンパクトな空間であることと、壁に囲まれていることで、安心感が得られる。

Q子育てにおいて良い距離感の取り方があれば教えてください。
 「子どもは大人より柔軟なので、お膳立てする必要はないと思います。与えられた条件の中で快適に過ごす方法を生み出す力を持っていますよ。むしろ、親が快適にいられるよう設える方が、結果的に子どもにも有益だと思います。子どもにとっては親の機嫌がいいのが一番ですから。 前ページの『子ども達がテレビに興じている姿にストレスを感じるから、母親のパーソナルスペースからは見えないように空間を仕切った』という例がまさにそれです。子ども達も安心してテレビを楽しめるので双方にとって快適だと言えますよね」。

床を一段下げることでゆるく仕切られた空間。ライティングを分けることでも、距離感が感じられる。

Q海外生活の長い小笠原さんから見て、日本特有の距離感のとり方を感じたことがあれば教えてください
「カーテンをかけている家が多いですね。私たちが馴染み深いのは北米なので、それに限ったことですが、彼らはどう思われるかより、どうしたいかを大切にします。だから、外から見えようと見えまいと、明るく開放的な空間で過ごしたければカーテンはかけません。その結果、街に人の気配が感じられるんです。東京の住宅街には、多くの人がいるはずなのに、気配が感じられません。同じ大都会でもブルックリンには人の気配があります。是か非かは別として、東京の方が寂しさや怖さはあるように思います」。

 距離感とは、単に物理的な距離だけに起因するものではない。視覚や聴覚、肌で感じる気配のコントロールなど、さまざまな要素が重なり合って生み出されるものだ。それが証拠に、ひとりになりたいからと窓のない独房のような部屋にいても、不安が先立って自分と向き合うことはできない。周囲の音や、風や匂い、生き物の気配が感じられてはじめて安心してひとりになれるのではないだろうか。 最近は、家や庭の一部を解放し、あえて地域との距離を縮める人が増えているそうだ。距離感についての考え方は、社会とともに変化するということではないだろうか。

PROFILE
小笠原 麻子さん
臨床心理士/公認心理師 大学卒業後会社員生活を経て留学。カウンセリング修士号を取得したのち、マンハッタンの児童精神科居住施設に勤務する。現在は、医療機関での心理相談や、個人のカウンセリングなどに携わりながら、建築士である夫の『小笠原正豊建築設計事務所』を手伝っている。一児の母。
小笠原正豊建築設計事務所 https://masatoyo.com
東京都文京区大塚2-13-1 1F TEL.03 - 6304 -1177

段差・すき間・ちょい壁でつくる優しい距離感MAMM DESIGN『Garden/House』東京都 I 邸

 玄関で迎えてくれたご主人が、「ごあいさつしなさい」と少し大きめの声で娘さんと息子さんを呼ぶと、階段を降りてくる足音が聞こえ、子ども達が「こんにちは」と顔を出した。
 伺ったI邸の敷地面積は約165㎡。奥行きが深く、構造上は2階建だそうだが、隣接する3階建の建物より少し高い。しかし、玄関から声をかけると、最も遠い対称位置にいる子ども達に声が届く。それがI邸だ。
 俯瞰写真を見ると分かる通り、この家は4つの四角いブロックが上下左右にずれながら連なってできている。そのずれから生じるすき間には窓があり、光や風をふんだんに取り込むことができるため、南北東を閉ざされた土地に建っているにもかかわらず、室内は明るく爽やかだ。
 設計当初、Iさんが最も強く望んだのは、広く開放的なリビングダイニングだそうで、玄関を進むと、その意向通り約30畳の開放的なリビングダイニングが開ける。が、ただ広々としているだけではない。段差や壁によって、多様な居場所が生み出されている。

写真:太田拓実

写真:太田拓実

写真:太田拓実

ほどよい段差と壁
 玄関から廊下を進み、ダイニングキッチンを通り抜け、ステップを昇るとリビングが広がり、見上げると吹き抜けの向こう、2階部分に子ども部屋が見える。一見するとそれぞれが独立したスペースのようだが、その全ては、ひと繋がりとなっており、お互いに優しい距離感を保っている。仕掛けは、段差と壁だ。
 例えば、リビングとダイニングの間には、4段のステップと1間幅ほどの壁が立っている。そのため、フロアレベルが異なり目線が合わず、ちょい壁に遮られお互いに丸見えにもならないので、気配を感じながらも、それぞれが気を使うことなく好きなことに集中できる。
 「以前のマンションでは、リビングダイニングが1フロアだったので、ダイニングテーブルで子どもが宿題をしていたら、リビングでテレビやゲームを楽しむのに気を使いました。この家では、そんな気遣いは無用です」と、Iさん。
 また、2階の子ども部屋も1フロアを本棚でゆるく仕切って3人の子ども達のプライバシーを確保しながらも、お互いの存在が感じられる安心感ある空間となっている。
 「子ども部屋は、3人のスペースがつながっているだけでなく、リビングダイニングともつながっているので、親としても安心感があります。朝、忘れ物に気づいた時などは、リビングから『◯◯とって!』と2階にいる誰かに声をかけて、上から投げてもらったりしていますよ」。
 家族とつながっている安心感があるからこそ、それぞれが思い思いのことに集中できる。この家には、そういう優しい距離感の仕掛けがいっぱい隠れている。

写真:太田拓実

Point 段差と壁でゆるやかに仕切られたリビングダイニング。リビング側(下写真)からもダイニング側(上写真)からもお互いに死角があることで、落ち着ける居場所が生まれる。
写真:太田拓実

Point 1フロアを書棚で3つに仕切られた子ども部屋。吹き抜けを介してリビングダイニングともつながっているので、常に家族が感じられ、安心感のある空間となっている
写真:太田拓実

庭が生み出す時間
 この家で忘れてはならないのが、屋根の上の庭。階段状につながった棚田のような庭には、レモンやブルーベリーなど、花や実のなる四季を感じる木や草花が植えられており、奥様のキッチンガーデンでもあり、子ども達の遊び場でもあり、ご主人のゴルフの練習場でもある。が、他にも重要な役割を担っているようだ。
 「この庭で家族一緒に過ごす時間はちょっとしたレジャーです。一方で、一人で水撒きをしたり、草むしりをしている時は、無心になれるのでリフレッシュする時間でもあります。そういう形でひとりになれる場所があるのもこの家の魅力です」とご主人。
 家庭という字は「家」「庭」と書く。庭もまた、家族間の距離感を縮めたり広げたりお互いが、自然につながれる優しい距離感をつくってくれている。

写真:太田拓実

- 取材協力 -
MAMM DESIGN一級建築士事務所
https://mamm-design.com/
東京都文京区白山3-6-25 TEL 070-6488-789 info@mamm-design.com2

間田真矢・間田央、二人の一級建築士による事務所。『Garden/House(本誌掲載・I邸)』に見られるように、条件の悪い土地でも、柔軟な発想で光や風をふんだんに取り込み、自然が感じられる快適な空間づくりが魅力。各種メディアが取り上げる、注目の建築事務所。
代表物件:『ミンナノイエ』『友の季ひまわり幼稚園』
受賞歴:2011年 モダンリビング大賞/AIA Japan Design Awards優秀賞 ほか

『ミンナノイエ』